冬の京都雑感

泉涌寺

一泊で京都へ行く機会があり、今回は皇室に縁の深い所へ行こうと思い、以前から訪れてみたいと思っていた泉涌寺(せんにゅうじ)に参拝できた。泉涌寺は皇室の菩提寺で御寺(みてら)と呼ばれている。今年は敬宮愛子様が成年皇族となられた祝いに、秋篠宮長女小室眞子さんの結婚と、二人の内親王が何かと話題になったこともあり、筆者にとっては時機を得た参拝となった。

泉涌寺

泉涌寺はJR線の南方、東大路通から東山方面に入った奥まったところに位置している。左手に御寺泉涌寺の石碑がある重要文化財の大門から山内へと進む。大門とあるが簡素で地味な門である。大門から進む参道は落ち葉の広がるゆるやかな下りの勾配になっているのもめずらしく、仏殿、舎利殿への歩を進める。皇室の菩提寺というから大層なお寺を想像していたが、小ぢんまりとした、しかし落ち着いた雰囲気がかえって威厳をもっているよう凛とした気持ちになって参拝した。

山内は創建時以降の天皇の葬礼が行われ霊明殿(非公開)には歴代天皇の御尊牌が奉祀されている格式のあるお寺である。ここでは千数百年を隔てて王朝が変わることなく京都が日本の中心であったことを改めて確認できるお寺でもあると思われた。今回は訪れるだけでもというのが第一の目的であったので、くまなく見て回ることなく再訪を期して泉涌寺を後にした。

京都御所

皇室ゆかりといえばやはり京都御所をおいて他にないだろう。翌朝、深夜に降ったらしい雪がわずかに残る京都御所を訪れたのは四十年ぶりくらいである。御所を巡りながら日本文化の重みを実感し、京都御所を筆頭に京都という街が日本文化のすべてを包含しているのではないかの思いが募った。

広大な敷地の御所の一隅を指差しながら同行の友人が言った。「苔はいいね」。その一言に筆者の頭には「しっとりとした」という言葉が思い浮かんだ。「しっとりとした」という言葉は、京都を、ひいては日本の四季、風土、文化を的確に表しているように思えた。

京都御所

御学問所の建物などに目をやりながら、いかに高貴な人たちの住まいとはいえ、冬はさぞかし寒かっただろうな、どうやって暖をとっていたのだろうと想像していて、ふっと清少納言の枕草子の一節が浮かんだ。

[冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし] 現代語訳:[冬は早朝(が良い)。雪が降った朝は言うまでもなく 霜がとても白いときも、またそうでなくてもとても寒いときに、火などを急いでおこして(部屋まで)炭を運んでいくのも、たいそう(冬の朝に)ふさわしい]

天皇や高貴な人たちに仕える多くの女官などの中でも、清少納言という人はひときわ鋭い感性と文学的な才能に秀でた平安時代のブロガーだったのだなあ、と咄嗟に思った。

同志社大学

京都御所と通りを隔てた北側に同志社大学今出川キャンパスがある。構内にある尹東柱(ユン ドンジュ)の詩碑を見たいと思っていた。尹東柱という名前は韓国人ならば知らない人はいないほどの国民的詩人であるが、彼は戦時中に同志社大学で英文学を学んでいた在学中に治安維持法違反で警察に拘束される。その後身柄を福岡刑務所に移され、そこで昭和20年(1945)2月獄死する。

簡単にいうと治安維持法違反になるような活動をしたとは思えないが、ハングルで詩を書き続けていたことから嫌疑をかけられてのことではなかったか。筆者の故郷福岡での獄死というのは、謎に包まれたままの死因のこともあって心痛む思いがあり、同志社大学キャンパスを歩きながら考えたのは、尹東柱は通学の途路御所を見遣りながらどんな思いを抱きつつ学んでいたのだろうかということだった。

尹東柱詩碑

自称コリアウォッチャーの筆者が尹東柱に成り変わって彼の心情を想像してみよう。    [母国京城(現ソウル)の王宮、景福宮と御所は何が違うのだろうか。日本国民の尊崇の象徴のような御所と、併合の象徴ともいうべき朝鮮総督府の近代建築物によって朝鮮同胞の目から遮られた王宮の景福宮との違いこそ、朝鮮と日本の関係そのものに思える。同じ盆地状の街、京都と京城(ソウル)。被征服民族たる自分は何をしようとしているのか、何をしたらいいのか。京都と京城(ソウル)を思い比べてみる。「しっとりとした」湿気を帯びた空気に包まれた京都。「からっとした」乾いた風の吹き抜ける京城(ソウル)。乾燥して心も晴れるような母国の一点の曇りもない空と透き通った夜空の星々。俺がやらねばならないことはただ一つ、心のおもむくままに母国の透き通った空気のように、世事に患わされず濁りのない詩を書くことこそが俺の人生に課せられた使命なのだ]。

もし尹東柱が生き延びていたらどんな詩を書き続けただろうかと思いながら、いまでも途切れることもなく多くの尹東柱ファンが訪れるという今出川の大学キャンパスを後にして私たちは嵐山に向かった。筆者は尹東柱をキーワードの一つとして[大邱(テグ)サグァ]という小説を書いた。一読いただければと願う。

嵐山

京都生まれで京都育ちの友人が車を運転しながら漏らした言葉が印象的だ。「これがローマだ、といえるローマの遺跡コロッセオのように、これが京都だ、と世界中の人たちにたちどころに分かってもらえる京都の象徴は何なんだろうといつも考えるが、嵐山の風景がそうなのかなあと思っているけど……」。友人はやや物足りなさそうに言った。

京都御所、金閣寺、祇園、[昨夜連れていってもらった祇園の和風バーは良かったなあ、京都らしいバーだった]などとつらつら考えていた。京都といえば世界中の人たちは何を思い浮かべるのかなあと考えているうちに嵐山に着く。

観光客のだれもが歩く渡月橋の上に立って上流の山々に目を遣ると、うっすらと雪に覆われた景色が一幅の墨絵のようだった。橋の下を流れる清流は桂川だと思い込んでいたが、橋を境に上流は大堰川(おおいがわ)下流が桂川と呼ばれると友人が教えてくれた。

「せっかくの嵐山も紅葉の季節が過ぎていては」という人がいるかもしれないが、冬の嵐山は、なんともいえず風情があって、文章で書き表すのはなかなかに難しい。それほど印象に残る風景だった。

駆け足の旅だったが濃密で感慨深い時間を過ごすことができた。京都は成熟した街。現代風の高層ビルが似合わない街。どの時代、どの季節に視点をフォーカスするかによって多彩な様相を見せてくれる興味が尽きない街、それが京都である。(洋一)

                        

“冬の京都雑感” への1件の返信

  1. 大学時代4年間を京都で過ごし、夏は盆地ならではの、ム~と湧き出す暑さ。
    冬はバイクで岩倉に帰る途中、修学院辺りから、ズーンと底から出てくる寒さ、底冷え。
    九州の田舎出には、大都市の喧騒の中にも、街の隅々に歴史の重さが染み込んでる京都の街並みは、重さや落ち着きが感じられ、心地よかったし安心も出来た。
     嵐山の景色は、日本の原風景かもしれない。
    御所は同志社の体育会員には、細かい砂利は、素足にやさしいトレーニングの場所でした。走りながら歴史を考えると不思議な想いに捉われたものです。
     『雑感』を読み進めると、自分の学生時代が、思い出されます。厳しい経営状態の時も、毎年5月の連休に、3泊4日で四条河原町の安ホテルに、泊まり
    京都を楽しむのが唯一の自分への褒美でした。
     おかげで、学生時代と苦しい経営を乗り切って来たことを、想い出しました。ありがとうございました。

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