10月26日という日、何があった?

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日本と韓国の近現代史に興味もない人にとっては、何の変哲もない日であろう。またこじつけで日付の一致を取り上げることもないが、この日は日韓に70年の時間をおいて歴史的に大きな変化をもたらした事件が起きた日である。

1909年10月26日、伊藤博文が「バカなやつが」の言葉を残して韓国(朝鮮)人、安重根の銃弾に斃れた日である。安重根は日本にしてみればテロリストであるが現代の韓国では国の英雄の筆頭、義士に祭り上げられている人物である。この事件がきっかけとなり、翌1910年韓国が日本に併合され大きな歴史的転換がもたらされることとなった。

1979年10月26日、時の韓国大統領朴正煕が側近の銃弾により絶命した。大統領の死という重大事件は韓国内のみならず日韓関係や東アジアの国際情勢にも大きな時代の変化をもたらす事件となった。

伊藤博文、朴正煕という二人の政治家に筆者が注目する点はただ一つである。19世紀後半からの100年間は、極東世界の近代化の歩みそのもの時代であった。その100年にあって伊藤博文と朴正煕こそ両国近代化の功労者であったあったことはまちがいない。二人とも功罪相半ばしているかもしれないが、近代化という視点からみれば最大の功労者であったことに異論はないと筆者は確信している。そして二人の死の70年の隔たりこそ日韓両国の近代化の時間差であったと思う。このような大局的な観点からすれば、現在日韓間に横たわる種々の確執や懸案の解決を長びかせることは、単なる両国の利害思惑、あるいは歴史観の相違から対立を続けることの無駄な時間の浪費としか思えないのだが。このことは両国に何の益ももたらさないいうことを政治に携わる人々に深謀遠慮してもらいたいと筆者は願っているのだかいかがなものであろうか。そのためにはことさら親韓親日である必要はない。互いに主張すべきは主張し、譲歩すべきは譲歩していくだけの度量を示してもらいたいものだ。その中から協同すべき事象を見出していけないものだろうか。「協同」という言葉は、朴正煕大統領がセマウル(新しい村)運動の標語の一つに掲げたものである。(洋一)

1件のコメント 追加

  1. shaw より:

    「二人の死の70年の隔たりこそ日韓両国の近代化の時間差」とありますが、かなり単純化した話だとしても、もう少し丁寧な説明が必要ではないでしょうか。たとえば、その70年のうち約40年は大日本帝國が大韓帝國(朝鮮)を支配していたわけです。両者の暗殺された月日が偶々同じだということを象徴的に扱うことは構わないと思いますが、それを土台に何を伝えようとするのか、説明していただかないと、読者に不親切かと思います。次の作品の構想ということであれば、大いに期待したいと思います。

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