久しく観ていなかった韓流ドラマを観た。2014年に放送された「春の輪舞曲(ロンド)」という現代の恋愛・家庭内いざこざの物語である。観ているうちにだんだんと李氏朝鮮時代500数年間の朝鮮社会を描いたもののような錯覚に陥った。ストーリーは財閥・セレブの家族一家に見合いや恋愛で庶民層の娘が嫁ごうとする中で起きる両家の相克を丁寧に追っていく話である。これは朝鮮社会そのものが時代を越えて描かれていると思えたのは、舞台の設定、人々の言動のあちらこちらにこれでもかと思えるほど李氏朝鮮時代と同じ様子が散りばめられているからである。筆者の独断で朝鮮時代と現代韓国を置き換えると次のような構図になった。朝鮮時代の両班(ヤンバン)特権階級は現代の財閥・セレブの一家、両班以外の人々は庶民一般。両班・富裕層とそうでない層との身分格差の違い。家庭内の上下秩序(夫婦間や親子間)など多様である。セレブ一家の親が息子たちの結婚相手に求めるものは家柄、学歴、就いている職業など、他のセレブ層から後ろ指を差されないような資格や見栄えである。セレブ一家の嫁に求めるものには厳しいものがある。男子(息子)がキッチンに立ち入ることを咎め、嫁が荷重な家事、給仕をすることは当然と思っている。それらは嫁と家政婦のやることなのだ。
ドラマは朝鮮時代の身分格差社会を現代の中で作者、監督が意図的に誇張して社会格差を描いているドラマであることがよくわかる。現代の韓国社会の思考や風習の根底に儒教(朱子学)的なものが深く浸透していることを監督は描こうとしたに違いない。最も印象的なシーンがある。ドラマの主人公である次男夫婦に子供ができず、孫をつくることを強要する母親の諸々の言動が克明に描かれていて興味深い。有名な産婦人科医の診察の強要に始まり、有効な漢方薬の服用、巫の占い、人工授精の提案と続く。そして究極の強要が代理妻による子づくりをやらせようとすることであった。家系の跡継ぎを得るために、男子の孫を得るためだけに高額な金を使って若い女性を探そうとする提案であったりするのだった。朝鮮時代からの悪しき風習で<シバジ>と呼ばれていた代理妻の風習が即座に思い起こされた。ドラマの結末は興味ある方は観ていただければと思うが、さらに1980年代に製作された韓国映画「シバジ」を観てもらえば尚更わかり易いと思う。この作品は1987年のアジア映画祭で最優秀映画賞やその他複数の賞を受賞している。因みにシバジとは、<種受け>という意味だが、なんという侮辱的な言葉だろうか。
今回のドラマ「春の輪舞曲」で思ったことは、それぞれの国独特の習俗や風習、国民に共通する潜在的なものの考えなどは、時代や生活様式が変わっても早々になくなるものではないということだろうと思う。韓国にあっては朱子学的思考が現代でも連綿として国民の中を流れているということであろう。視点を変えて見れば韓流ドラマも一見の価値ありだなと気付かされた「春の輪舞曲」だった。岡目八目という言葉があるが、日本のドラマも外からみれば長年にわたって続く潜在的な日本人に共通する思考法や精神がなんなのかを気づかされることになるのかもしれない。(洋一)