稲盛和夫氏の義祖父と義父

京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が亡くなられた。訃報に接して筆者の頭に浮かんだのは氏の義祖父と義父のことだった。義祖父というのは19世紀末李氏朝鮮の国王妃であった閔妃殺害事件に係わった禹範善(ウ ボムソン)である。1895年10月、三浦梧楼日本公使と日本壮士団、朝鮮の軍(訓練隊)の一部が朝鮮宮廷の景福宮に乱入し閔妃を殺害した乙未事変と呼ばれる大事件である。閔妃は国王専制の朝鮮にあっては日清戦争後の親ロシア派の中心人物で、日本にとっては好ましからざる存在であったことから三浦梧楼公使は閔妃排斥の暴挙にでたのである。事件後日本人の一団は帰国を命じられ裁判にかけられるが、禹範善や黄鉄といった朝鮮人は日本へ亡命する。事件については角田房子著「閔妃暗殺」(1988年 新潮社)に詳しい。一読されることをお薦めする。日本の肝いりで起ち上げていた軍隊(訓練隊)の隊長の一人であった禹範善が何故事変に係わったかの理由本音はわからないままである。いろいろ推測してみるしかない。禹範善は日本亡命後日本人女性と結婚し二人の男児を設け、その長男が稲盛氏の義父となる禹長春(ウ チャンチュンもしくはながはる)である。

禹範善の亡命、結婚と困難な時代に何かと援助を惜しまない日本人かいた。栃木県佐野の豪農資産家須永元(すなが はじめ)氏である。須永氏は1884年にクーデター(甲申事変)ならず日本へ亡命していた開化派要人の金玉均(キム オッキュン)や朴泳考(パク ヨンヒョ)などを支援した人物である。福沢諭吉との交わりから朝鮮の改革近代化に一方ならぬ思い入れがあった人である。しかし金玉均も禹範善も朝鮮の刺客の手にかけられてしまう。須永氏は禹範善についてはその死後も支援を惜しまなかった。亡き後の家族(母と子)を自分の養子にしてまで支援を続けた。禹長春が須永長春の日本籍を持っていた由縁である。禹長春は東大農学部卒(正確には農学実科)後、農事試験場技官や種苗会社勤務などを経て戦後祖国韓国に請われて渡韓、韓国の農業発展に多大の寄与をし、韓国農業の父と呼ばれた。

筆者は2016年友人の紹介で佐野市立図書館長を訪ねる機会を得、禹範善や金玉均に関係する物や貴重な話などを見聞することができたが、その一つが須永文庫と呼ばれる膨大な資料である。13000点もの資料が図書館と博物館に保存されていた。概略を見聞するだけに終わったが、その後図書館長の案内で妙顕寺という須永家の菩提寺を訪れた。本堂の扁額は金玉均の墨筆で“開本山 金玉均”とあった。金玉均は小笠原島時代には書を売って生活の糧の一部にしていたほどの腕前の人である。

金玉均や禹範善の時代を辿れば辿るほど現代現在の韓国政治が二重写しに思えるのは筆者だけではないのではと思える。歴代の大統領が凶弾に斃れたり投獄されたり、また先の大統領選挙に見られる保守と進歩派の対立や告訴合戦など19世紀末と何ら変わらないようだ。陳腐な言い方だが歴史は繰り返すそのままのように思える。外国人の日本人が口を挟むことではないが、格言じみたことを言えばイギリスの歴史家E・Hカーの有名な言葉を思い出す。「歴史は現在と過去の対話である」。至言であろう。韓国と北朝鮮の二つの隣国とわが国はどう向き合っていくべきかを考えるとき、E・Hカーの至言を噛みしめて韓国と北朝鮮を見ていく必要があるのではないだろうか。歴史は脈を打って生きているものだということを(洋一)

“見てもらいたいお墓があります”と言って連れて行かれたのは禹範善の墓の前だった。咄嗟にそれが誰だったのか思い浮かばなかったが、“閔妃事件の……”と言われて分かった次第である。須永氏は既にあった禹範善のお墓から分骨し、妙顕寺にお墓を設けていた。禹範善の妻と子を母子養子にしていたことからの須永氏の心遣いであったろうと思う。19世紀末韓国の守旧派と開化派の対立相克は激しく、王妃殺害に加担した禹範善は祖国を裏切った極悪人扱いであったが、須永氏がいかに韓国の近代化、開化派への思い入れが強かったかが偲ばれる。禹範善の子孫の人たちも何度も墓参に訪れているとのことであった。孫の稲盛氏夫妻も墓参されているに違いない。禹範善の死から119年というのに事件や死がごく最近のことのように思える。稲盛氏から一気に禹範善の家系へと繋がったが、角田房子著「わが祖国」に詳しい。

“稲盛和夫氏の義祖父と義父” への1件の返信

  1. こういう史実が日韓の一部の人の知識ではなく双方の多くの人々の教養になればと思う。2001年の平成天皇の「ゆかり発言」を思い出す。
     …私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来日本に五経博士が代々招聘されるようになりました。また、武寧王の子聖明王は日本に仏教を伝えたことで知られております。しかし、残念なことに韓国との交流はこのような交流ばかりではありませんでした。このことを私どもは忘れてはならないと思います…

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