戦後最悪と言われている日韓関係。日本政府も徴用工問題の日本企業資産が現金化されれば後戻りできない事態に陥る、すなわち国交断絶にまで立ち至る可能性さえ示唆している。これに対して各種SNSでは両国でも国交断絶を唱える人から慎重派まで巷間かまびすしい。徴用工、慰安婦問題をはじめ、いくつもの対立する問題をこのまま放置しておいていい訳がない。日韓の深刻な対立はだれを利することになるのか。それは日米韓の関係に楔を打ち込み、朝鮮半島を含む東アジアの覇権を目論む中国に他ならない。しかし日米韓3ヵ国の同盟関係は、実態は日米同盟と韓米同盟の個別の同盟であり、3ヵ国一体となった同盟にはほど遠いものがある。日韓はこの先も友好的な関係を築けないかもしれないという危惧の思いも強い。日韓共にどこかに友好関係を築く糸口を探し出すべきだと筆者は思っている。またその糸口は必ずあるはずだとの思いも強い。キーワードは人と人、政治、外交に携わる人たちのコミュニケーションしかなく、そのために必須なものは言葉に他ならないと思う。
飛鳥から奈良時代の日本へは三韓(高句麗・百済・新羅)時代の百済や新羅から数多くの朝鮮半島の人々が日本へ渡来し、人々は朝廷の高級官僚ともなっていくほどの関係だったといわれ、そのために朝廷の日本人役人は何不自由なく朝鮮語を理解し話すことができたといわれている。中国(隋)との交渉には通訳がついていたことからも、日本と朝鮮半島の密ぶりを察することができる。朝廷の官僚が何の苦もなく朝鮮語を使いこなせたこととの類似でいえば、19世紀までの帝政ロシアの貴族の主要言語はフランス語だったといわれているが、飛鳥奈良時代の日本政治の中枢はロシアにとってのフランス語のように朝鮮語が位置づけられていたのではないだろうか。人種的交流や帰化など何のわだかまりもなく行われていたに違いない。公的な文書はすべて漢字漢文であり何の不自由もなかったと思われる。政治、宗教、文化と多岐にわたって繋がりは深く、日本は朝鮮半島からの情報の恩恵に浴していたのであり、特に百済との関係が深かったことから、663年の白村江の戦いへの関わりなど濃密なコミュニケーションが顕著であったことの証しであると思う。その後時代が下っての奈良朝と新羅の関係が良好だったことにも現代の我々には学ぶことが多いのではないだろうか。
この20年間ほどは夥しい数の韓流ドラマが放映され、女性を中心に韓国に親しむ人たちが溢れている。筆者が韓国朝鮮に関心を持った40年ほど以前のことを思うと隔世の感があると同時に、ドラマであれ音楽であれ韓国への関心が大きく広まっていることは喜ばしいことである。しかし市民レベルの韓国への関心や韓国に嵌まる現象に反比例するかのように政治、外交関係は悪化の一途を辿った20年であった。その原因や理由はどうであれ、日韓両国にとって益になることは何もなく、いがみ合いはとどまるところを知らず諸問題の解決の糸口も掴めないのが実情である。良好な関係になることを切に願うばかりである。
何の力も行動力もない筆者ではあるが、日韓両国が友好的になる方法はないものかとずっと考えてきた。その仮の結論がキーワードは言葉、言語であろうということだった。韓流ドラマなどの影響により韓国語を勉強する人が増えているそうだが、しょせん市民レベルのことで両国関係改善に大きく資するほどのことではないのだろう。筆者が考えるのは、韓国語学習を制度化したものにするしかないのではということである。制度化の具体的な第一歩は日本全国の、できるだけ多くの大学入試外国語選択科目に隣国の言語を導入したらいかがだろうか。それは当然のように高等学校での韓国語教育、科目導入を促すことにつながっていく。それくらい大胆な制度再編があってもいいように思う。韓国に阿ってのことではない、淡々と日本の教育制度の改革としての韓国語の導入である。賛否両論続出で侃々諤々かもしれないが、新しい外国語を学ぶ事に何の異論もないはずだ。いろいろな波紋や影響も想定されるだろうが、韓国語教師の養成や採用など雇用機会の増大などのメリットも多かろうと思う。政治家や教育に携わる人々に考えてもらう価値はあると思う。少しだけ長い目でみれば日韓間の友好関係に資するにちがいないと信じている。NHKの韓国語講座開設時のような講座名をどうするかなどで右往左往していたずらな時間などの無駄を省くためには、入試科目に韓国語を導入する各大学の一存で呼称を決めればいいことである。(洋一)
「韓流ドラマなどの影響により韓国語を勉強する人が増えているそうだが、しょせん市民レベルのことで両国関係改善に大きく資するほどのことではないのだろう」としながら、大学入試に韓国語科目を追加せよというお考えが理解できません。なお、韓国語は2002年から大学入試センター試験の外国語科目として導入されています。
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