韓国で最も嫌われている三人の日本人

最も嫌いな唾棄すべき日本人は誰かと問えば、即座に出てくるのは豊臣秀吉と伊藤博文であろう。それに21世紀の世に追加されたのが安倍晋三元首相だとすれば、この3人が嫌いな日本人三人衆ということになるのだろうが、安倍晋三氏を挙げたのは筆者の独断である。安倍氏にとっては名誉なことであると思う。何故名誉なことなのかと思う根拠を豊臣秀吉と伊藤博文の事跡を辿りながら書いてみたい。読者の反論を期待して。

韓国から見た豊臣秀吉:唾棄すべき日本人の筆頭の理由は定説になっている文禄・慶長の役、朝鮮出兵の首魁だからである。中国・明征伐を口実に朝鮮半島を席捲し戦場とした所業は400年経た現在でも許すことのできない韓国人の怨念の歴史といえる。

同 伊藤博文:20世紀初頭の3次にわたる日韓協約により韓国を日本の保護国とする統監府を設け、初代統監となり韓国の外交権、内政権を握り韓国併合35年へと導いた首謀者である。

現代の人々は日韓両国の教科書にもこのような解釈のもとに書かれている内容で教育されてきた。平穏平和だった朝鮮半島を蹂躙し略奪した日本という構図になっている。そこには地球規模の世界的な視点は一切見出すことができない歴史観に依っている。何故豊臣秀吉は明征伐を考え、伊藤博文は何故韓国の国情、政情に関心を抱き統監府の統監になることを承諾したのかを考察する価値はあると思うがここでは省略する。

豊臣秀吉と伊藤博文から見た朝鮮半島(李氏朝鮮)  豊臣秀吉から見た日本と朝鮮の大きな違い、それはヨーロッパを見る視点、あるいはヨーロッパの脅威への危機感の違いといえる。豊臣秀吉による文禄・慶長の役は明征服などという妄想による野望などではなく、スペイン・ポルトガルによるアジア侵略、植民地化への野望が日本の危機であり、明・朝鮮が植民地となれば次は日本となる。国土を略奪されるかもしれない危機を阻止するには、日本がスペイン・ポルトガルよりも先に明、朝鮮に日本の覇権をと考えたことによる。それほどヨーロッパへの危機感を募らせていたことの証しだろうと思う。豊臣秀吉は明貿易によって得る莫大な利益をも視野にいれてのことであった。

伊藤博文の世界を見る目、時代認識も豊臣秀吉と同じといえる。19世紀末から20世紀初頭の日本にとっての脅威は欧米の先進国の帝国主義によるアジア諸国での植民地争奪戦、わけてもロシアの南下政策の脅威への危機感であった。ロシアの朝鮮半島への侵攻は日本の存亡に係わる重大事項であり、どうしても阻止しなければならないというのが日本の立ち位置であった。結果、必然的に日露戦争を余儀なくさせられたのである。豊臣の時代の明も伊藤時代の韓国も中華思想に凝り固まった国であり、国際情勢への視点などないに等しかったのではないだろうか。世界(欧米)が見えていた日本にとっては、中国や韓国の欧米への対応の鈍感さが日本の焦燥感につながり、明や韓国への日本の介入となっていったのではと思われる。韓国ではことに日本の介入への反発が日本の指導者(首謀者)への嫌悪となって、今に続く人物評価になっているのではと思えるのだが、いかがなものだろうか。

安倍元総理にとっても日本を取り巻く構図は豊臣、伊藤と同じである。対象が核を保有し、軍事力を高める中国ロシアと、核をちらつかせる北朝鮮という3ヵ国の脅威である。安倍元総理の政治(外交)課題は3ヵ国への対抗と封じ込めに腐心すること、日本の防衛・安全保障をいかに強固にしていくかであったと思う、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)成立に尽力し、「自由で開かれたインド太平洋」を提唱し、日米豪印クアッド(QUAD)4カ国の自由と民主主義の枠組みの構築と国際的な活動に精力を注いだのが安倍元総理である。

3人に共通するのは、偏に日本の安全確保防衛であり、そのための安倍元総理の関心は日本を取り巻く外の世界とどう対応するかにあったといえよう。そして日本の関心が外に向かうとき、それは韓国朝鮮にとってはトラウマのように、日本が侵略を意図しているように映っているのだ。3人を嫌う理由である。日本から見れば過大な反応としか思えないが、その隔絶した溝はいつまでたっても埋まることがない。日韓は互いの視点に立って両国関係を考えてみるということはできないものだろうか。このままでは反日、嫌韓は永遠に収まりそうにないのだが。

安倍元総理の非業の死にも触れておきたい。伊藤博文との縁を思った。共に韓国に縁のある凶弾に斃れたこと、安重根と韓国発祥のカルト教団に関係する凶弾。年齢は67歳と68歳とほぼ同じこと。山口県の人。吉田松陰を師とした伊藤博文と松陰を尊敬していた安倍元総理。地球儀的観点から日本を、そして世界を見ての行動、活動。日本人の政治家としては世界的な影響力をもった希有な政治家ではなかったか。安倍元総理について、元内閣官房参与の宮家邦彦氏が的を射た表現をしている。“現代風に言えば日本の外交は「超高性能GPS衛星を一つ失っただけでなく、当分代替機が手に入らない」ような危機的状況にある”(産経新聞2022年7月17日版オピニオン) (洋一)

1件のコメント 追加

  1. shaw より:

    安倍氏の死を「非業の死」とし、秀吉や博文と同じ次元に高めていることに違和感ととともに説明不足を感じます。たとえば、豊臣政権と明治政権による朝鮮侵略ないし植民地化を当時の日本が周辺世界の動向を把握していたからだ、として正当化していますが、これも十分な説得力をもっているとは思われません。そもそも「韓国人が嫌う三人の日本人」という設定自体いかがなものか。明治初期における「征韓論」の台頭とつながるようなものを感じてしまいます。仮に本投稿の論旨に拠るとして、秀吉と博文にはそれぞれ이순신, 안중근という朝鮮の英雄があったわけですが、安倍氏には彼らに対応する英雄が見いだせない。「何々人が最も好きなとか最も嫌いな何々人」という設定自体に懐疑的なものですから、反論めいたものになってしまいました。ご了承ください。

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