韓国の友への手紙 ★ ウクライナを考える

久しぶりの便りです。伝わってくるニュースでは御国は次期大統領の選挙を目前にして政治の季節の真っ只中なんですよね。そんな中ウクライナへのロシアの侵攻という世界を震撼させる非常事態ですね。ウクライナの国民が避難民となって隣接する西側の国へ逃れているというニュースに暗澹たる思いでいます。取るものも取り敢えず家を後にした人々の映像を目にすると、1950年6月に勃発した韓国動乱時にソウルから南へ南へとひたすら避難の難行だったという貴君の家族の話が二重写しになって思い出されます。家族の方々が生き延びてくれたおかげで今の貴君がいるんですね。ロシアのウクライナへの突然の侵攻が、貴君たちが六・二五(ユギオ)動乱と呼んでいる韓国動乱の始まりにあまりにも似ている、進歩のない世界を思わずにはいられません。太平洋戦争後の冷戦時代、東西対立の矢面に立たされた貴国、大韓民国の悲劇は今のウクライナそのものです。北朝鮮の韓国への侵攻が、表面上は金日成主導のものとはいえ、ソ連の首相スターリンにオーソライズされた実質的には西の資本主義陣営と東の社会主義陣営の戦争だったことは明白でした。今回のウクライナ事態は、ソ連がロシアに、スターリンがプーチンにすげ替わっているだけのこと、長年の不凍港を求め覇権(領土)拡大を図る帝政ロシア、ソ連に続くロシアの野望は21世紀の今になってもその構図は何ら変わってはいないことを歴史が証明していると言えませんか。

プーチン大統領が民間人には攻撃はしないと言うが、最も悲惨なのは無辜の民に他ならず、それも婦女子、高齢者ほどその過酷さは大きく、それは六・二五動乱時も同じですね。ゆうに140万人(3月6日現在)を超え、日に日に増え続ける避難民の様子はウクライナの人たちもなんら変わらないが、ひとつだけ大きな違いがあると私は思っています。ウクライナの人々は西に位置するポーランド、スロバキア、ルーマニアなどへ避難しています。陸続きであることが幸いしています。六・二五動乱時の韓国市民はどうであったか。北から押し寄せる北朝鮮軍に追い立てられるように、ひたすら南を目指すしかなく、半島南端の釜山より先に進むことも出来なかった。韓国政府さえも釜山を臨時首都とする有様であり、朝鮮半島全域の席捲を目論む北朝鮮軍の前に絶体絶命、降伏寸前でした。同年9月の米軍の仁川上陸がなければ、北朝鮮の野望通りに赤化統一された国になっていたことでしょう。ウクライナとあなたの国韓国の大きな違いがここにあります。

21世紀のこんにち、半ば公然と核をちらつかせる北朝鮮がロシア、中国を後ろ盾にして韓国へ攻め入って六・二五動乱の悪夢の再現となったら韓国はどう立ち向かい、民間人の避難はどうするのでしょうか。陸続きの避難先がない人々はどうしたらいいのでしょうか。ウクライナ事態は他人事ではありません。反日が国是となり、反日原理主義国家となった貴君たちの国の国民が対馬海峡を渡って日本へ避難して来るとなったら今の日本はどんな対応をするのだろうかと、悲観的な想像をしてしまいます。悲観的にならざるを得ない、それが現在の最悪な日韓関係なのです。韓国の政治家、ジャーナリスト、知識人さらに貴国民の大多数に通底する反日的言動が、悪夢の再来にとっては最大のネックになるに違いないのです。貴国の政治家は何度政権交代しても同じことを言う。「日本はわが国に対して行った所業、歴史を真摯に見つめ反省し、謝罪しなければならない。その上で未来志向の日韓関係を築いていこうではないか」と。日本から見ると未来志向という言葉が空疎で白々しく聞こえるのです。未来志向とはどんなことを指しているのか全くといっていいほど具体性がなく、マンネリ化した口先だけの空理空論で日本人の心に響いてこないのです。

北朝鮮、ロシア、中国が韓国と日本にいつ何時侵攻して来ても不思議ではないというのが、今回のウクライナ事態ではっきりしたのではないでしょうか。島国のわが国はロシアとの間には北方領土問題を抱え、南からは尖閣諸島が中国の領海侵犯の脅威にさらされています。このような緊張を強いられている中で、貴国が反日を政治の具にし、あるいは商売の材料にしている場合ではないと思うのがまともな感覚なのではと私は思っています。貴国とわが国にとって未来志向の真の意味は何なのでしょう。両国に横たわる諸問題でいがみ合っている時間はないという共通認識のもとに、東アジアの危機を想定した巨視的な視点からの密なコミュニケーションを考えることこそ未来志向といえるのではないでしょうか。貴君の考えを是非聞かせて欲しいです。政治家やジャーナリスト、文化人といった限られた人間が国をリードしていく時代はもう終わったというのが私の現在の思いです。貴君の返事、考えが聞けるのを楽しみにしています。(洋一)  

注: 韓国動乱(六・二五)については私の作品でも「捨子花」などで触れています。

8件のコメント 追加

  1. shaw より:

    朝鮮戦争(1950-)の開戦(南侵)について金日成が初めスターリンに打診するとソ連の国内事情のために反対され、その後毛沢東に打診するや約1年待てといわれて、中華人民共和国の建国後に毛沢東の許しを得て侵攻したという説があります。中共建国の翌年にしたこともその傍証と考えられますが、50年末に仁川上陸作戦に応じて中共が義勇軍という名の国民党捕虜を最前線に配した軍を派遣した際も、捕虜にはろくな軍服も銃も給されず、国連軍の兵士の証言では「まるで遊技場の人形を撃つように簡単に斃れたとされているそうです。[参照: “The Unknown Story MAO” by Jung Chang and Jon Halliday]

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  2. shaw より:

    そもそも、なぜ朝鮮戦争「勃発」というのか。かなり長いあいだ、日本の学校教育は朝鮮戦争が東西冷戦の齎したものだと教えてきましたが、果たしてそうだったのか。むしろ、米中対立が齎したものだと考えるべきではないのか。後年のベトナム戦争も同じ枠組みで捉えることができるように思います。「張り子の虎」として米国を批判し続け、いまも変わらず同じ枠組みで米国の覇権主義に反対しながら、虎視眈々と台湾を版図に組み入れようとする中国という覇権主義国家をどう捉え、それにどう対峙するのか。むずかしい問題で僕の手には負えませんが、基本枠組みは変わっていないのではないかと考えます。

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    1. aobasumito より:

      米中対立が朝鮮戦争を齎したというのは、どうかと思います。当時の国際情勢は、ソ連主導の社会主義ドミノ現象全盛の時代からして、米ソの対立と見るのが、と思います。ソ連が核を手に入れたことがアメリカとの対抗上、北朝鮮にGOサインを出したと見るほうが事実に近いように思います。

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      1. shaw より:

        紹介した書籍の共著者の一人はロシア史の研究者で、当時のロシア語資料を参照していると思われるのですがね。

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  3. shaw より:

    朝鮮戦争を受けて、日本は米国の圧力で警察予備隊を組織します。米国の「傀儡」と云われても仕方がないことをやっている。貴兄のいうとおりに1950年当時の日本は韓国難民を受け入れることができなかったのか。仮説と云われればそれまでながら、当時、日本が韓国難民を受け入れていたら、今日の日韓関係は異なった様相を見せているのではないか。もちろん蓋然性は小さいのですが、現代においてもそういう可能性を見出す努力はあってもいいのではないか、そんなことを考えます。

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    1. aobasumito より:

      六・二五当時の避難民受け入れは不可能だったと思います。1番の理由は実質的な主権者は日本政府ではなくアメリカ(GHQ)でしたから。第二の理由は米軍(GHQ)は民間人のことまで目がいってなくて、また彼らにとって韓国の国民のことなどどうでもよかったというのが本当のところでしょうから。アメリカ人が東洋人を見る見方はその程度だったということではないでしょうか。

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      1. oguris より:

        ご指摘のとおり、1945年10月2日から1952年4月28日まで連合国軍最高司令官総司令部の支配下にあったわけですから、キリスト教的人道主義からして難民受け入れという選択肢があったと考えられなくもないかな、と思うのですが

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      2. aobasumito より:

        実質はアメリカが舵取りをしてはいますが、形の上では日本政府。日韓間には国交がないわけですから、避難民受け入れができたのかどうか。アメリカの権限で超法規的にやればできないことはなかったでしょうが、アメリカにそこまで余裕があったかといえば、私は疑問ですね。

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