韓国の反日は、もはや宗教である

韓国では反日を叫ぶ材料に事欠かない昨今である。徴用工、慰安婦問題の解決には何ら進展がみられず、いたずらに時間だけが浪費されていくなかで、またぞろ佐渡金山の世界遺産登録という最新の反日材料が持ち上がってきた。韓国の敏感な反応の仕方には、日本国民の多くは「またですか、もうウンザリ」というのが正直な思いではないだろうか。

戦後(1945年~)韓国の一方的で身勝手な李承晩ラインの設定に始まり、幾多の反日活動が現在まで止むことはない。羅列すれば以下のような言いがかりにも近い反日行動の数々である。竹島をめぐる領有権問題、日韓請求権協定交渉上での久保田発言への反発と会談中断、総理大臣の靖国神社参拝、教科書問題、徴用工・慰安婦問題、慰安婦像の日本大使館前設置をめぐる国際法違反、旭日旗へのいくつもの言いがかり、日本海を東海と言い換える喧伝の愚、対馬の仏像盗難と未返還、日本製品不買(NO Japan)運動、韓国海軍によるレーダー照射問題、慰安婦問題合意の一方的破棄(ちゃぶ台返し)、軍艦島・佐渡金山の世界遺産登録への反発、福島原発汚染水・農産物輸入禁止措置、日本製半導体関係素材の輸出管理措置への反発、東京オリンピック選手村の反日的垂れ幕など反日活動はとどまるところを知らない。(各項目Wikipedia参照)

反日の極めつけが朴槿恵元大統領か2013年に放った演説の一部である。「加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない。日本が私たちのパートナーとなり、21世紀の東アジアの時代をともに導いていくためには、歴史を正しく直視して責任を負う姿勢を持たなければならない」。千年変わることがないという思いが、韓国国民の大多数に千年にわたって通底する反日感情だとすれば、これは最早「反日教」という立派な宗教である。しかも一部たりとも日本の姿勢や対応に妥協をしないというのであれば、「反日教原理主義」としか言いようがない。宗教原理主義は情緒的な要素が大いにあるゆえ、韓国人の反日教には陶酔感、快感さえ伴った感情があるだろう。日本人の視点からすると、宗教に酔っている人たちと互いの正論をぶつけ合ってどこかに相互理解できる点を見出そうという気になれないのが正直な思いだ。諸々の懸案にも共に向き合う気も失せるというものだ。

150年ほど前に日韓の間には「征韓論」と呼ばれる問題が持ち上がった。幕藩体制が崩壊し、王政復古の明治新政府となった日本は、韓国(李氏朝鮮)にそのことを告げる書契(国書)により改めて新政府との国交を求めた。しかしその書面に記載された「皇」や「勅」という表現は朝鮮にとっては甚だ不適切なもので、書契の受け取りを拒否したことから、二国間の交渉は10年近くの間膠着状態のまま進展しなかった。その間に痺れを切らした日本は、朝鮮に武力行使も辞さず国交交渉をするべきという強行論が政府内で多数を占めることとなったのである。それが後年「征韓論」と呼ばれる政府を二分する一大政治論争である。征韓論争は西郷隆盛をはじめとする主要参議の下野から明治8年(1875)の武力衝突まで引き起こす江華島事件(雲揚号事件)を経て日朝修好条規へと繋がり、朝鮮の開国のきっかけとなった。

武力衝突までいった朝鮮側の考えはどんなものだったのか。国内事情についてはここでは触れないが、国是は儒教原理主義に裏打ちされた小中華思想と、開国と西欧文明を拒絶する攘夷に凝り固まった政体であった。衛正斥邪といわれる自国はすべて正しいとする中世世界そのままの国であった。意固地とも言える朝鮮と、苛立ちを隠せない日本とのせめぎ合い、対立が朝鮮の開国まで続くのである。朝鮮が日本との交渉さえも拒否する理由は儒教原理主義及び攘夷の国是にあるが、同時に日本を野蛮な国とする自国よりも下に見ていた儒教論理と偏見の情緒的な面も見逃せない。それは現代にも連綿として続く韓国(朝鮮)の拭いがたい日本を卑下するような感情でもある。

日本を下位に置いておきたい情緒を内包している今日の反日教原理主義。しかも反日教原理主義はナショナリズムと密接に結びついた厄介な状態になっていることを、日本は銘記しておくべきである。それは太平洋戦争中の日本を想起すればわかりやすいだろう。鬼畜米英とナショナリズムを煽った一部の軍上層部の狂気の日本を思えばいい。

それでは日本は現代の日韓関係にどう立ち向かうべきか。征韓論時の朝鮮よりもはるかに厄介な国、それがいまの韓国だ。日本はどう対応すべきかよく考えなければいけないが、微温的できれい事の外交交渉など最悪の方法と思うべきである。武力衝突間際までも覚悟するほどの征韓論時代のように是と非の意思を明確にし、毅然としたスタンスで、ブレることなく日本の立ち位置を主張しなければならない。それが政治の世界であり、外交であると筆者は考えている。悪態をつく言いがかりのような韓国の戯れ言は無視すればいいのだ。但しこれだけはないがしろにしたくないというものがある。政治的な葛藤や対立がいかに昂じようとも両国の国民(市井の民)レベルでの交流や友好関係は別物という考えでいなければならない。筆者にも親しくしている韓国の友人がいる。彼らとは礼儀をわきまえた付き合いを続けていかなければいけないと強く思っている。また多くの人が互いの国に友人を作っていくことは重要だというのが筆者の考えていることである。市民レベルの友誼交流は、時には政治、外交の世界も動かす力になると信じる。ましてや現代は全世界と繋がることがいとも簡単なネット社会であることを最大限に活用すればいいのだ。ただ韓国国民の大多数は反日教の信者であることを夢忘れてはいけないと肝に銘じて。(洋一)

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