1980年銀座のバー「美弥」で、紀伊國屋書店創業者田辺茂一氏とよもやま話をする機会があった。私が梶山季之の朝鮮物の作品に夢中だった時期である。お二人は飲み仲間、昵懇の間柄だった。田辺さんは故梶山季之を語りながら、その夜の思いをさらさらと私のノートに書いてくれたのが「もいち まだかと 三途の川の 梶山が」である。田辺さんの思いのこもった一文である。冥界にもバー「美弥」があればと願う。(洋一)

「韓国併合」とは何だったのか
1980年銀座のバー「美弥」で、紀伊國屋書店創業者田辺茂一氏とよもやま話をする機会があった。私が梶山季之の朝鮮物の作品に夢中だった時期である。お二人は飲み仲間、昵懇の間柄だった。田辺さんは故梶山季之を語りながら、その夜の思いをさらさらと私のノートに書いてくれたのが「もいち まだかと 三途の川の 梶山が」である。田辺さんの思いのこもった一文である。冥界にもバー「美弥」があればと願う。(洋一)
1980年というと、梶山季之さん(1930-75)が香港で亡くなって5年、田辺茂一さん(1905-81)が75歳で、翌年12月にお亡くなりになっているので、その1年余り前ということですね。僕もそういう年齢になったのか…
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梶山季之さんと会いたかったですね。大坪はその後梶山季之の京城中学時代の同級生の方と何度か手紙のやり取りをして、当時の梶山季之のことを知る機会がありました。
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